あたり前のことを続けるのは辛い

あたり前のことを続けるのは辛いと思う。誠実に、思いやりを持ち、一生懸命に、簡単には諦めずに、家族を大切に、親を大切に、ウソはつかずに、時間を守り、約束も守り、人に嫌な思いはさせずに、恩はちゃんと返し、過食や過飲は避け、健康的に過ごす。ほとんどの人が小さい頃から言われて続けていることばかりだ。


しかしこれが全部出ている人はほとんどいないだろう。今まで私も、それらを全て出来ている人には出会った事はない。もちろん私自身も全部出来ている訳ではない。

 

先日、ある知人からお子さんの高校受験、大学受験に臨むにあたってのアドバイスを求められた。私も語ることができる程のレベルでもないのだが、長男の高校中退からの目指していた私大合格という、一応「変わった」経験をしているので、その時に心掛けていたことを話をした。

 

それは、「目標を明確にして、諦めないこと」。言葉にするのは簡単だし、そう言うのも恥ずかしくなるようなセリフだ。しかしその言葉が普通に出てきたし、その言葉とその思いに嘘も偽りもない。

 

人は最初は目標を明確にしても、すぐに困難に面すると言い訳をつけて目標自体を諦めるか、その目標のラインを下げてしまう。下がったラインは下がり続けるだけでなく、次の挑戦時の自身のクセとなり、延々とその流れが人生で繰り返される。

 

YouTubeで、とあるブランドの社長さんが言っていた「勉強しろ、真面目にやれ、ウソをつくな、と子供に言っている親自身が、それが出来ているのか」と。

 

最初に決めた明確な目標は逸らしてはいけない。目標なのである程度の高みにはあるはずなので、そこには当然困難が伴う。困難は辛い。何かのせいにして、誰かのせいにして、出来ない理由を並べて止めてしまうことが多いはずだ。

 

私もこの17年間、多くの経営者の方達と出会ってきた。皆、最初は闘志満々、やる気満々でいるが、徐々にその目標に向かうのが辛くなってくる。そこまでやらなくても、そのやり方でなくても、そもそもその必要があるのか、等々自問自答が続き、元の状況、元の自分自身のやり方に戻っていく人達も、本当に稀だが一部いる。そういう方達には、私には追いかけることも諭すこともできないし、その力もない。

 

自分の子供には恥ずかしい姿は見せられない。そこにはあらゆる理由も言い訳も通用しない。外でいくら繕っても、いつも身近にいる妻は、そして子供はその全てを見抜いている。私なども、子供たちがもう30才に近くなってきている今でも、そう思いながら日々過ごしている。

 

何気に過ぎ去ってしまうような日々は出来れば過ごしたくない。精一杯やった、人生に何の後悔もないという所まで出来れば行ってみたいと思う。今現在、もうある程度はゴール付近まで来ているようで、まだ大分先がある気もする。

 

今日もあたり前のことは全て守り続けて生きていきたい。何より誠実に生きていきたい。

今現在の、奇跡のような、そして夢のような人生が、人生の最後の最後まで続くように。

 

 

 

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