誰もが自分が思ったように、自分が望んだように日々の全ての物事を進めていきたいと思っているはずです。しかし当然のように、物事は自分の思ったようには簡単にはいきません。そこに到達するには多くの思考と試行錯誤、そして不断の努力だけでなく、大いなる変化が必要となる、というのが今回のお話です。
仕事、プライベート、人間関係等、日々様々な問題などが起こる中、個人的には「うまくいかなくて逆に良かった」と結果的に思われるような事を、私自身、本当に何度も経験してきました。
自分としては何とかうまくいかせたいと思い、思考しトライし、また思考しまたトライする、うまくいくことも多くあるものの、中には何をどうやってもうまくいかない事もあります。「何故うまくいかないのか?」と自問自答しますが、どう考えても分かりません。そして何が問題なのかもわからないまま、もう諦めざるを得ない状況になる事があります。
そして実はそれらの多くは、というより99%は、結果的に「自分の思うようにならなくて良かった」という結果に「最終的には」落ち着きます。自身のここ数十年、数年を振り返っても、あのまま自分の意向通りに進んでいたら、結構面倒な事になったいたという事があまりにも多いのです。
そういった事はどうして起こる現象なのか?と自分的には結構前から考えていました。そもそもの最初の意向が外れ過ぎているのか?とも考えましたが、どうもそんな事もなさそうです。うまくいった事はそれはそれでいいものの、うまくいかなかった事もその時には大きく凹んでも、最終的にはその時に望んだ以上、願った以上の結果となって返って来るのです。結果として、何をどうやっても「最終的には」うまくいく、という人生に「今の所」落ち着いています。
結論、その多くが、うまくいかなかった時の自分自身の対処法にポイントがあるのだとここ数年で気づいてきました。うまくいかない事そのものは悲しく、自分自身の至らなさや判断の甘さを悔いる事が多いのですが、その悔いと至らなさへの「自身への強い認識」により、「次の一手」がより慎重に、より革新的になっているようでした。要は、「より良い次の一手が事態を大きく好転させる」という事です。抽象的すぎて、何を言っているのか分からないと思われるでしょうが、何となくは何を伝えたいかというのは伝わっているかと思います。
世の中うまくいかない事だらけです。何で自分だけ、と思う事も人生には数多くあるでしょう。しかしそこで安易に諦めない事です。又、そのやり方や結果だけには決して固執せずに、全く違うルートからの打開策、又は、そのうまくいかなかった事を「踏まえて」の改善策を講じる事です。あの時うまくいかなくて本当に良かった、と心から思えるような「奇跡」が乱発されるようになる、というのは私自身の体験談です。
諦めずに、しかしいつまでもその事だけに固執せずに「思考を変えた新たな手」を打っていきましょう。その時の挫折とその新たな一手が、人生を転換させる大きな起点となるはずです。
と、今回は若干、スピリチュアル的な雰囲気な話でしたが、決してそんなものではありません。ただの、そして普通の人生好転への個人的な対処法でした。