終活的なことをやってみた②

<前回のブログの続きです>

 

今私は57才。今年の8月で58才になる。この年で病気でもないのに、終活の如く自分の人生で出会った人と会うというのは普通なかなかないとは思う。とにかく一切の心残りがないように、とだけ心掛けて友人知人に会いに行った。

 

話したかったことは、

①当時、お世話になった御礼

②お互いの近況

③とりあえずのお別れ

の三つ。

 

結果的に会ったのは総勢12名。会えなかったのは1名。返信がなかったのが2名だった。高校の同級生、大学の同級生、サラリーマン時代の同僚や知人、以前の取引先の人、子供の野球で知り合った父兄など。

 

全て終了した印象としては。まず疲れた・・・。人と話すのってこんなに疲れるんだと思う程日々疲れました。これは仕事の疲労の比ではなかった。会話というより、久々の緊張感が一番大きかったと思う。一番久々の人で約20年振り。他に15年振り、10年振り、5年振りなど。

 

あまりにも久々なので、やや微妙な感じで終わるのは覚悟していたのだが、意外にも概ねいい感じで話が出来、また会おう的な感じで大体の人は終わった。ただやはり、なかなか話が噛み合わない。噛み合わないというより状況や境遇が違い過ぎた。仕事にも生活にも接点は全くなく、何より考え方そのものが違う。これまでの人生も、今後の人生への臨み方への思いなども全く違っていた。話をそれなりに合わせるのに最も疲れたのかもしれない。

  

話した内容の多くは、今までの仕事の話。あとは病気・離婚・定年・年金、そして早期退職について。中でも、意外に病気になっている人が多かった。その知人ではなくても、奥さんだったり、家族だったりが何らかの大きな病気にかかっている人もいた。

 

後は離婚も多かった。これも驚きだった。3分の1以上の知人は離婚していたと思う。次に定年の話。定年延長するかどうか?延長すると給料が下がる。今でも安いのにこれ以上下がったらそどうしよう。転職しようにも職などないとの事。年金をいつ受け取るか?など。又、多くの人は髪の毛は少なくなっており、何より皆太っていた。最初は誰だか分からない人もいた位。もう少し節制したらいいのに、と大きなお世話ながらに思ってしまった。

 

皆、概ねいい人だったが、生き方と考え方の違いはこの年になると色濃く出てくる。最後に会った知人が言っていた。50代までは差はそこまで開かないが、50代以降で一気に差が開くと。本当にそんな感じだった。差というと語弊があるが、言い換えれば道の違いだろうか。

 

今回、人生においてある程度関りのあった友人・知人、そして印象に残った人との再会は終わった。あと数名残ってはいるが、もう機会はないと思う。今回会った多くの人も、次の5年後に定年又は定年延長したとしても退職しているだろう。そういう私も何をしているか分からない。

 

あれから数日が経つが、意外にも何か自分自身すっきりした感じになっている。何か一つ「おちた」感じがする、「抜けた」とも言えるだろうか。

 

何となく一つすっきりした所で、今度はまた違ったものを追いかけてみようかと思っている。