人は1日に3万回の判断をすると言われている。寝ている時間を省き、起きている時間で割ると大体3~4秒に一度は人は何らかの判断をしているということだ。そしてその中には、その後の自分の在り方を決めるような重要な判断も散在しているはずだ。
判断には小さな判断、中程度の判断、大きな判断というものがあるはずだ。以前、書籍にも書いたのだが、決断というものは存在しない、というより存在させてはいけないものだと個人的には思っている。決断と聞くとどうしても一か八か的な雰囲気が出てくる。その大きな決断が外れた時には自身にはショックもダメージも大きいからだ。そもそもその決断に至る前に、細かな判断が存在していたはずだ。その細かな判断の重要度を常に認識し、その結果、その小さな判断の精度を上げていけば、大きな決断に至る前に勝負を決しさせることができるのではないか、というのが密かな持論でもある。
その1日3万回の判断の中の特に数回の日々の判断を、しっかりと行っていこうと意識し出したのはもう大分前のことだ。判断時に「この小さな判断が後に何かに繋がる」ような判断などは、判断時点で大体は分かるはずだ。全く意識していなかった判断が後々に大きな意味を持つことも稀にあるが、大体は予想できるものが多い。
その小さな判断に、瞬時の熟慮と、その後への展開のイメージを持たせることが出来れば、当然のようにその判断の結果は大きく変わってくる。ある程度は予想でありイメージしていたことだから、その時には更に先をイメージするだけでいいから、後に「決断」までする必要はない。そしてそれらの「結果」は大体が自分のイメージ通りになることが多い。
よく顧問先の方々であり、家族から、「何でこうなることが分かったのか」的なことを言われるのだが、別に予知した訳でもなく、流れをイメージして判断していけばそうなってくるのは本当に分かるようになってくるものだ。
いずれにしても、その時の感情や状況で判断はしないことだ。必ず、その先をイメージして、「小さなことでも安易に判断しない」という「思い」こそが重要となる。
などと偉そうなことを言っているが、その判断も最近ちょっとズレてきている感じがしている。先を読み、イメージして熟慮して冷静に判断したはずのことが、外れてきているのだ。別に対した外れでもないし、実際はそこまで大きな影響はないのだが、自分的には、あそこでもっとこう考えていれば、もっとこうしていれば、という出来事が数回続いた。
もちろんそう感じることで、またそれは「経験値」として次の判断にはつながるのだが、最近、それはそれで結構地味にショックを受けている。このブログのタイトルには、「判断の精度を上げていきたい」と書いたが、もっと言えば「小さな判断の精度を上げていきたい」ということになる。いつのまにか、意識の仕方が弱くなて来ているのかもしれない。
「後悔だけはしない判断」をしていきたいものです。