今、TBSで「ロイヤルファミリー」というドラマが放送されている。日本のドラマだ。最近はBSのメジャーリーグ中継以外は、ほとんどテレビは見ることもないのだが、たまたまNetflixでお勧めにあがってきたドラマで見てみたら、意外に面白かった。競馬に関わる物語だ。
その中のセリフで、「馬は何のために生まれてきて、何のために死んでいくのか?それは人も同様だ」的なセリフがあった。ただ生活するため、生きていくために日々があるのか、的なニュアンスだったと思う。今回のブログは、そこで少し考えさせられたという話だ。
皆、生活していくため、生きていくために必死に働いていると思う。しかしひたすらそれだけを考えて、週末の時間や、定年後の落ち着いた暮らしだけを求めて生きていくのはあまりにももったいない、ということは個人的にはずっと感じていた。
私の場合は自分で事業をしているから、自分で自分のことは100%自由になる。よって働き方や生き方は会社に勤めている人達と比べれば格段の自由度がある。そういった中でコロナ前位から今に至るまでここ約6~7年、特にここ2年位前からは、「自由」に生きるように心がけていた。
当然、仕事は大事にしている。顧問先の方々やコンサルの生徒さんも含めて、そこには全身全霊で行っているが、更なる事業の拡張や自分自身が無理をする類のことはもう一切行ってはいない。表面的な付き合いなども全てやめた。
今はひたすら自分が望むこと、やりたいこと、やってみたいことに注力している。自分的には「感動」と「興奮」をキーワードにしながら、そこを強く求めて日々があるという感じだ。その中で、妻とも子供達ともその自由度の中で、一体感を感じながら日々過ごしている。
自由な生活を送り続けるには当然、経済的な基盤がいる。しかし収入を得るためだけに、ストレスを多く含む仕事は決してやってはいない。
仕事にはプレッシャーは必要だ。必要だと感じているが、「変な」ストレスが出てきた場合はそれはまた別の次元の話になる。もう無理だな、と感じた時点でほぼ終了だ。そんな仕事ももうしない。生きていくためにやらなければならない、などとは決して思わないようにしている。
将来や老後に不安がないかと言われれば、全く無いことはない。しかし、老後のために蓄え続けて、今を我慢することがいいこととは思わないし、そもそも何歳まで生きられるかも分からない。現状で、子供達がもう働いていて、それぞれに事業を興して軌道に乗っているという背景もあるだろうが、それも大分前から事前準備していたことだから、たまたまそうなった訳でも、ましてラッキーだった訳でもない。全ては自分自身の予見と意思によって行ったことだ。
今年の夏前に、高校時代以降の知人十数人と久々に会って話をしたが、正直、皆の疲弊ぶりは想像以上だった。もっと楽に生きれば、と言いかけたが、「お前はいいよな」と大体の人に言われるので、それ以上は言わなかった。
そんなに嫌な仕事なら辞めればいいし、私などの仕事であり自営業がそんなにいいと思うのなら、自分で事業をやってみればいい。しかしそんな事を言うと、「そんなに簡単にいかない」とほぼ100%言われる。
そう、簡単ではないのだ。だったら、「お前はいいよな」と簡単に言われることもないはずだ。
何のために仕事しているのか?何のために生きているのか?という問いには、多くは生活のためという答えになるのだろうが、力を入れる矛先をどこかで変えてみることを「考えてみる」ことは必要ではないかと個人的には思っている。
あとはその勇気を持てるかどうかだ。「変化の先にしか違う世界はなく、今の延長には今しかない」というのも一応個人的な持論だ。
そんなことを考える前に、今日の仕事がある、と言われそうだが、そうこう言っている間に、身動きの取れない年齢や身体になってしまったらもうどうしようもない、などと思いながらそのドラマのセリフを聞いていた。
「一片の後悔もない人生を送る」
自分の子供達だけには、そこを伝えきって、やりたいことのほとんどをやっている、後悔のない人生を送って欲しいと心から願っている。
人生のゴールであり、目的をどこに置くか?経営者やサラリーマンの方々もそこは考えた方がいいと思う。
多分、そんなことは大きなお世話でしょうが・・・。
