手を緩めた時、普通の結果しか出なくなる

仕事に限らず、全てのことを細やかに、そして丁寧に、かつ漏れなく対応することは出来ない。そんなことをしていると時間がかかってしょうがないからだ、と一見思われがちだが、個人的にはその考えこそが結果的には実は遠回りになると思っている。

 

全部とは言えないが、プライベートのやりとりも含めて、個人的には何事も「突き詰めて物事を進める」傾向がある。子供達との仕事のやりとりで特に感じることになるのだが、やはり誰もが「多少は」さっと物事を進めることが多い。それが明らかに重要で、失敗が許されないことならまだしも、ほとんどが一見普通のやりとりをしていけばいいというものだから、どうしても「普通に」対応してしまう。

 

例えていうなら、ある店に行こうと思ったら、今日は営業しているかどうか確認する。又は、どこかへタクシーで移動する際に交通事情を事前に把握しておく。これらは単なる超シンプルな事例ではあるが、簡単な事前「確認」とも「準備」と言える。

 

仕事の場合は更に複雑になる。例えば見積りの場合、その見積りの根拠であったり、背景や競合状況、先方の担当者の性格であったり、過去のやりとりなどに加えて、その後の「展開の予測」が必要になってくる。普通はまずは「提出」だけを目的に「その対応」のみで終わらせる人が多いが、それを提出したら、相手はどういう反応をしてくるか?次に何を要求してくるか?そして更にその後はどういう流れになっておくだろうかと想像を巡らせれば、様々な展開が多岐に渡り考えられる。

 

そこで考えられるシチュエーションを設定して、準備をした場合、その準備の時間や作業がかなり大変になる。又、その準備そのものが徒労に終わってしまうことも数多くある。その場合には、その労力を「損した」と考えてしまうことになるだろう。

 

それでも確認作業と準備作業を徹底していくと、見事にミスが減る。何より成功率が格段に上がる。最初に多くの時間を使ってはいるものの、その後の展開の準備も想像して行っている為、その先の展開での作業時間が実は「大幅に」減ることになる。結果で言えばそっちの方が労力は少なく済むことがほとんどだ。

 

しかし、例えトータルで時間短縮を得られると分かったとしても、人は皆、その最初の時点で労力をかけることをしない。そこで準備するようなことが起こるとは限らないだろうと、どうしても思ってしまうようだ。

 

確かに準備の中には徒労に終わるものは多い。又は、可能な限り想定したとしても、自分が想像もし得なかった反応を示され、結局はまた更に別の準備を余儀なくされることもある。「ほら、やっぱり無駄だった」と、思ってしまうと思うのではないだろうか。

 

だから事前準備に徹底を期すことは普通はしない。そう「普通」はしないのだ。普通に普通の結果しか得られないということは、普通の考えで普通のことをやり続けているからだとも言える。しかし現実的には、皆何故か「普通でない結果」を望む。そこに矛盾が生じるのだ。普通に考えていることのみを行動していれば、普通でない結果など得られるはずがない。

 

徹底した「確認」と「準備」をした方がいい。

 

例えそれが徒労に終わる可能性が高くても、将来的には無駄には決してならない。そこで行った確認や準備は、次の確認や準備の大きな礎となるからだ。

 

面倒なことの先にしか利益はない。又、ストレスを感じる交渉を経ずして大きな利益はない。黙っていても利益が流れる仕組みなどはないが、大きく利益を獲得できる「流れ」は存在する。

 

楽な道を選ばずに面倒なことをやってみよう。「結果として」労力は大きく抑えられ、大きな結果を生むだろう。何より、自身に力が付いてくる。それが「仕事が出来る」ということだ、と私は思っている。

 

私は、その考えと行動の結果、今の自分がある、人とはまるで違う自分がいると、自分で勝手に思っている。万事において、手は緩めない方がいい。手間をかけて、手間をかけて、そして又、手間をかけよう。

 

そして「普通ではない」大きな結果を得て、今より遥かに楽になってみよう。