個人的には、今では昔の友人や知人との付き合いはほとんどなくなった。ごくたまに誰かに会うタイミングがなくもないが、そういった人達ともその後に会わなくなるケースが多い。
「人との繋がりは大事だ。特に年齢を経てからの友人こそ宝だ」、などと言っているYouTubeやInstagramの投稿が沢山あるが、どうもそれは自分には当てはまらないのかもしれない。
先日、柿谷美雨さんの小説の「もう別れてもいいですか」という本を読んだ。最近はミステリー系の本を読む事が多かったので、少し気分を変えて読んでみた本だ。
「もう別れてもいいですか」の本の主人公は58才の主婦。夫が嫌で離婚を検討する物語だ。よくありがちなシチュエーションのものだったが、そのリアリティも含めていろいろ考えさせられた本でもあった。
主人公は同級生5人の集まりに定期的に参加するのだが、そこでは大体が他の同級生の噂話になる。それも大体が他の同級生達の「うまくいっていない話」や「離婚話」などになるのだが、たまにうまくいっている人の話にもなる。しかしそこでは、その「うまくいっている人」に対して、「悪口を言われる人」と「褒められる人」の2種類に分かれているというのだ。
主人公は、何故、うまくいっている人でも「悪口を言われる人」と「褒められる人」とに分かれるのが最初は分からなかったのだが、その後徐々に理解していく。それは皆と「出会った当初の状況」に影響しているとのことだった。
悪く言われるのは、当時パッとしなかった人で、良く言われるのは当時から勉強や容姿で目立っていた人だったのだ。以前から「それなりの立場だった人」は、あの人は昔から凄かったと褒められ、「大した立場でなかった人」は、昔は全然大した事なかったくせにと、とてつもなく悪く言われていた。
実はこれは私が個人的にずっと疑問に感じていた事だった。私が何年かぶりに友人や知人と会った際、ほとんどの人の様子が「何か」おかしかった。こちらが何も言っていないのに、何故か攻撃的に話をしてくる人や、妙によそよそしい人も多くいた。サラリーマン時代位までは、ずっといい感じの付き合いだったのに、急にだ。
「自分が何かしたかな?」と思い出すが、何もない。そもそも誰とも会ってもいないからだ。そしてそこで皆の話を聞いていると、昔の「それなりの立場」だった友人や知人が「今も」こんなにも頑張っているという話が多かった。それはそれで別にいいのだが、個人的にはその内容が、「それってそんなに凄いのか?」と思うような事ばかりだった。
高校の部活の同級生などは、当時の同級生のキャプテンが「会社の営業目標を達成したから凄い」とか「昇進したから凄い」と、まるで自分の事のように自慢している。正直、地方の社員数20人の会社で昇進して何が凄いのかは分からないし、営業で「その会社の目標数字」を達成したからといって、一体何が凄いのかが全く分からなかった。
多分、当時の面影を皆がずっと追い続けているというのと、私に対する当てつけだろうな、という事だけは感じとられた。今回読んだ小説にもそれに近いシーンがあった。
残念ながらこういった事は今まで一人や二人では無かった。私の友人や知人の多くがそんな感じだった。そうなると私自身にの振る舞いにも問題があるのだろうが、自分的には自分の話はほとんどしていない。しかし私個人の状況はSNSや、こういったブログ、書籍等で少しは分かってしまっているのだと思う。そもそも気に入らないのだろう。皆との距離は今後はもう縮まる事はないと思っている。
そして先程のその書籍に当てはめるならば、私自身は当時は「とても軽んじられていた」という事になる。実際、そこまで勉強もできた訳でもないし、リーダーシップを発揮していた訳でもない。特別に運動が出来た訳でも、話が面白かった訳でも、皆の中心だった訳でもない。そういう「普通以下」だった人に「それなりの変化」があるとこうなるのか、というものだった。
それらは今回のこの書籍で全て腹落ちした。別に今の自分が特別どうこうとなどは思った事もなかったが、周りからすれば「良くない対象」になっていたのかもしれない。
もう自分も皆も昔には戻れない。人は変わっていき、その境遇も変わり、少しずつ接点もなくなっていく。そして今の自分がいる「新たなゾーン」での付き合いが始まるだけなのかもしれない。
しかしやはり一抹の寂しさは拭えないものだ。
